女川への旅――しなやかな回復力による地域再生(ボブ・スティルガーさん寄稿)

            東日本大震災から来月で5年が経過します。震災直後から被災者・支援者の対話の場づくりを行ってきた米国人ファシリテーター、ボブ・スティルガーさん(

『未来が見えなくなったとき、僕たちは何を語ればいいのだろう』

          著者)から、今年1月に宮城県女川町を再訪した際のことを書いた記事を寄稿していただきました。5年を経た被災地で今何が起きているのか。ぜひご一読ください。(翻訳:広本正都子さん)

女川への旅――しなやかな回復力による地域再生
ボブ・スティルガー

2011年4月半ば、僕は女川へ行った。東北沿岸、人口1万人の町である。2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9の地震が沿岸沖で発生。40分後、高さ18m、時速160kmで突進する津波が襲った。その破壊と壊滅の情景は想像を絶するものだった。

僕がこの入り江の写真を撮ったのは、津波の5週間後だ。僕たちは沿岸に到着するまで、瓦礫と破片で埋め尽くされた光景をずっと見続けた。打ちのめされる思いで。

 

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2016年1月、僕は、ある日本企業の幹部向けリーダーシップ研修として3日間のラーニング・ジャーニーを率いた。2011年秋以来初めて女川を再訪したとき、目にした情景は違っていた。地方行政、市民、企業、日本政府が共に取り組み、新しい未来を創ってきたのだ。

 

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商工会議所の青山さんは僕たちに、震災当時のことを語ってくれた。

 

・・・あの日の朝、一緒に朝ご飯を食べたのです。妻と子どもたちと一緒に。津波が来たときは職場にいました。建物最上部にある給水塔に上りました。水が胸のところまで来て、その夜は塔にしがみついていました。そして思ったのです。「朝、子どもたちとの別れ際、どうして抱き上げてあげなかったのか。抱きしめてあげなかったのか」

波が来るたび、本当に寒くて、辛くてたまりませんでした。諦めてしまいたかった。でもまた子どもたちに会いたかったのです。死ぬのが怖いという感じではありませんでした。ただ、子どもたちにもっとしてあげたいことを思ったのです。

私たちは誰も、自分だけが秀でていなくていいのだと津波から学びました。共に立ち上がることができさえすればいいのです。私は高卒で、英語も話せません。でも助けることができるのです。情熱を持っているなら、どんなことも乗り越えられるのです。

人口1万3000人、私たちの美しい町は85%壊滅しました。言葉にできません。827人が亡くなり、257人が行方不明者の遺体が見つかりませんでした。私たちの学校の体育館は緊急避難所となり、私と家族は、他の2000人の人たちとそこで過ごしました。9ヶ月もの間そこにいた方々もいます。

震災後1週間以内で、私たちは何から始めるかを話し始めました。誰が公務員で誰が会社員で、かつて何をしていたのかなんて分かりません。何かするために、共に動かなければならないのだというだけでした。

商工会議所の不動産流通協会を形成するために、50人が集まりました。ほとんどが30~40代でした。長老の方々は、復興には20~30年かかるだろうと私たちに言いました。コミュニティが今必要としているリーダーシップとビジョンを示してくださるなら、私たちは協力します。地方自治体はもちろん助けてくれますが、すべてをこなせるわけではありません。市民が必要とされています。最も大切なのは人々が共に動くことであり、特に、若い人たちの活力が重要なのです。

かつては、地方事業、大企業、政府、一般の人々の間に分断や断絶がありました。しかし、共に動かなければならなくなりました。「子どもたちに残せる町を」と皆が考え始めたのです。フューチャー・センターで絵を描きながら、望む町のビジョンとして見えてきたのは、自然と共にあること。きれいな水があること。食糧が保障されていること。子どもたち・高齢者・障がい者に優しいこと・・・

 

厳しさは続いている。震災前に女川に住んでいた人たちの37%は町を離れた。5年近く経った現在でも、2003人が仮設住宅に住み、654人が様々な共同住宅で生活している。

 

女川町役場公衆衛生担当の佐藤さんは、どれほどケアが必要とされてきて、そして今も必要であるかを話してくれた。

 

命の危険にさらされた人たちだけでありません。すべての人たちに必要なのです。私たちは皆、震災のトラウマを抱えています。ある意味、特に男性にとって厳しいことでした。職務上の地位や立場を失って、避難所でお酒を飲むようになり、人生の目的もなくなってしまった人たちです。

政府ができることには限界があるのですから、私たちは、市民が自分たちで行動を起こせる状況を創り出すことに力を入れました。例えば良い例は、誰もが自分のストーリーを聴いてもらうことを何よりも必要としていると気づいたことです。私たちは『傾聴ボランティア』の活動を始めて、人々の話に耳を傾けるために出かけていきました。

公衆衛生のワーカーとして健康問題に注目することが多いのですが、本当に焦点を当てたいのは、生活の質(クォリティ・オブ・ライフ)です。周りの人たちとの関係性がクォリティ・オブ・ライフの基盤です。専門家やケア担当者は、ここにずっと居続けるわけではありません。必要なことは自分たちがしなければならないのです。物事が平常になってきたときに、この地域再生の精神をどう続けていけるかということです。

 

コミュニティが共に立ち上がり始めて、瓦礫から「美」が姿を現し始めた。例えば、駅の向かいの商店街。通常、小さな町の商店街は単調なものが多い。実務重視の店構えや、夜にシャッターが閉まっているだけの光景など。女川の人たちはもっと違うものを求めた。

 

そして彼らが創り出したものは、実に素晴らしい。向かいの駅へ呼びかけ、上の階には温泉も。「いらっしゃいませ。温泉へどうぞ。夕日を眺めながら、お店やレストランにいらしてください。」

 

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2012年の初め、女川町の若い町長に初めて会った。彼が選出されてまもなくの頃だった。僕は東京で、被災地域の自治体首長7人と共に、企画フォーラムに参加していた。6人は70歳近くで、何を必要としているかについて話した。女川町町長の須田さんは、何を持っているか、そして、ゼロから新しいコミュニティを始める千年に一度のチャンスをどう捉えるかについて話したのだ。女川町の人たちがしてきたことは、まさにそれである。

 

彼は今43歳で、宮城県議会議員を3年務めた後、2011年11月に女川町町長に選出された。友人だった前町長が彼に立候補を勧め、そのビジョンと洞察力が今必要とされていると伝えたのだ。確かに「すごい男だ」という印象を持つ。

 

すぐに察知したのは、町の職員の数は少なく、何をするのでもすべての人と共に動かなければならないということです。そして最初から、『女川町で何をするとしても、持続可能で、効率的で、有用でなければならない』と言ってきました。

私は町役場で、コンセンサス形成とコミュニケーションのために多くの時間を費やしました。政府は人々よりも上にいるのではありません。我々は皆、対等のパートナーです。市民一人ひとりが関わらなければなりません。町長になって4日後、女川の復興計画書を読みながら、何かが違うと感じました。前町長に話してみると、彼もどこか心配だと言うのです。そこで9人の人たちに集まってもらうと、それぞれが不安を感じていることが分かりました。

何かもっと必要なことがあり、それは全員から出てこなければならないと感じていました。人々が関わりやすくなるように、80の情報グループに自ら参加しました。そこから特定の課題へのワーキング・グループが形成されます。政府の仕事は、ワーキング・グループが決めた特定事項から大きな枠組を決めていくことです。そしてその計画は全員のものになっていったのです。人々は懸命に働き、私たちは月に一度、作成中の計画に関するすべての情報を公開するようにしました。そして2012年1月には、市民によってまったく新しい計画が完成。普遍と思われてきたことも変更を実現しました。例えば、町の地形測量といったことです。

町長になってまもなく、私には3つの役割があると気づきました。1つめは、私はただ、自分自身の希望と夢を持つ1人の市民であること。2つめは、私は政治家であって、その仕事は人々を集めて彼らの話を聴き、彼らが互いを聴くようサポートすること。3つめは、私は町長であり、その仕事は、市民がコミュニティで望むことを実現していく地方自治体を統治すること。・・・

 

彼はその3つの役割において、素晴らしい仕事をしてきている。

 

ラーニング・ジャーニーの3日間は、驚きに溢れていた。コミュニティが共に新しい未来を創るとき、どんなことが起こるのか、私たちは注目しなければならない。

 

Bob-(C) Timothy Conner●筆者 ボブ・スティルガー Bob Stilger
ニュー・ストーリーズ共同代表、社会変革ファシリテーター。1970年に早稲田大学に留学。アメリカで地域開発の仕事に従事した後、CIIS大学院にて博士号取得。2005~2009年ベルカナ研究所共同代表。地域や組織にイノベーションをもたらす対話の場づくりのプロとして、北米、南アフリカ、ジンバブエ、ブラジル、インドなどで活動。2011年の東日本大震災の発災後はたびたび来日し復興のための対話の場づくりに取り組んできた。著書『未来が見えなくなったとき、僕たちは何を語ればいいのだろう』(英治出版、2015年)。

 

9784862761866

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