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3月11日に向けて①――客観的に振り返り、改めてこれからを考える。

あれから5年

 

2011年3月 11日に起きた東日本大震災から、今年で5年になります。
新聞やテレビ番組でも、震災関連のニュースが報じられる機会が増えてきました。

あの瞬間、何をしていたか。
あれから、自分はどう変わったか。
現場は、今どういう状況にあるか。

間もなくその日を迎える今、皆さんはどんなことを考えているでしょうか?

 

震災後、英治出版は自分たちの力でできることを考え、「出版」という手段を使って『災害時のこころのケア』を製作し、被害にあわれた地域に配布いたしました。

災害時のこころのケア表紙_3.11用

『災害時のこころのケア』 10万部を無償配布します

 

5年経った今私たちにできることとして、あの出来事を風化させずに、この節目の時に、改めてこれからの私たちのあり方を考えるきっかけになる本を紹介したいと思います。

・あの震災の後、日本はどう変わったのか?あるいは変わらなかったのか?
・「コミュニティ」「対話」の力が被災地にもたらすもの
・本当に相手のためになる支援とは何か?

この3つのテーマで、3タイトルをご紹介していきます。

 

今回の記事では、このタイミングで英治出版から発行することになった『3.11 震災は日本を変えたのか』を。

 

 

3つのナラティブ(物語)

 

未曽有の事態を経験して、各所で盛んにこう叫ばれました。

「日本は変わる」

皆さんは、実際にどれくらいの変化を感じられましたか?
果たして本当に変化は起きたのでしょうか?

何が変わり、何が変わらなかったのでしょうか?

著者のリチャード・J・サミュエルズ教授は、「安全保障」「エネルギー」「地方自治」の3つの分野から、それらを解き明かしていきます。
そしてこの各分野において、政治家やメディアは、この災害を様々なナラティブ(物語)で解釈し、国民を牽引しようとしていたと言います。

その主なナラティブは、次の3つです。

・新たな方向へ進む必要がある(劇的な変化を支持)
・モデルは変えず、以前よりもうまく行うべきだ(現状維持を支持)
・理想的な過去に戻らなければならない(過去への回帰を支持)

次の表は、事例を挙げて「3つの分野」と「3つのナラティブ」を掛け合わせた簡易図です。

3.11表

このようなナラティブが、いったいどのように語られ、何を生み出したのでしょうか?
当時の状況を「ナラティブの闘い」として見つめ直すことで、これからを考える手がかりも見つかるかもしれません。

 

 

いま一度、客観的な目線を

 

この本の特徴は、日本の政治・安全保障を専門とする海外の研究者が客観的に震災後の変化を論じていることです。
膨大な資料から、当時の政治家の発言や、災害の歴史的・国際的比較まで綴られています。

ぜひいま一度、この客観的な目線から「あの時」と「これまで」を見つめ直し、そして改めて自身の視点で「これから」を考える機会にしていただけたら幸いです。

3.11表紙背景付

3.11 震災は日本を変えたのか
著:リチャード・J・サミュエルズ

リチャード・J・サミュエルズ Richard J. Samuels
マサチューセッツ工科大学(MIT)政治学部フォードインターナショナル教授、MIT国際研究センター所長、MIT日本研究プログラム創設者。専門は日本の政治、安全保障。1992~95年MIT政治学部長、2001~08年日米友好基金理事長を務めた。日米の相互理解と文化交流への寄与により旭日重光章を受章している。著書『富国強兵の遺産―技術戦略にみる日本の総合安全保障』(奥田章順訳、三田出版会、1997年)で日本に関する優れた英語文献に贈られるジョン・ホイットニー・ホール・ブック賞および有沢広巳記念賞を受賞。また『日本における国家と企業―エネルギー産業の歴史と国際比較』(廣松毅監訳、多賀出版、1999年)で大平正芳記念賞を、『マキァヴェッリの子どもたち―日伊の政治指導者は何を成し遂げ、何を残したか』(鶴田知佳子、村田久美子訳、東洋経済新報社、2007年)で米国政治学会エルビス・シュローダー賞を受賞した。他の著書に『日本防衛の大戦略―富国強兵からゴルディロックス・コンセンサスまで』(白石隆訳、日本経済新聞出版社、2009年)などがある。

女川への旅――しなやかな回復力による地域再生(ボブ・スティルガーさん寄稿)

            東日本大震災から来月で5年が経過します。震災直後から被災者・支援者の対話の場づくりを行ってきた米国人ファシリテーター、ボブ・スティルガーさん(

『未来が見えなくなったとき、僕たちは何を語ればいいのだろう』

          著者)から、今年1月に宮城県女川町を再訪した際のことを書いた記事を寄稿していただきました。5年を経た被災地で今何が起きているのか。ぜひご一読ください。(翻訳:広本正都子さん)

女川への旅――しなやかな回復力による地域再生
ボブ・スティルガー

2011年4月半ば、僕は女川へ行った。東北沿岸、人口1万人の町である。2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9の地震が沿岸沖で発生。40分後、高さ18m、時速160kmで突進する津波が襲った。その破壊と壊滅の情景は想像を絶するものだった。

僕がこの入り江の写真を撮ったのは、津波の5週間後だ。僕たちは沿岸に到着するまで、瓦礫と破片で埋め尽くされた光景をずっと見続けた。打ちのめされる思いで。

 

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2016年1月、僕は、ある日本企業の幹部向けリーダーシップ研修として3日間のラーニング・ジャーニーを率いた。2011年秋以来初めて女川を再訪したとき、目にした情景は違っていた。地方行政、市民、企業、日本政府が共に取り組み、新しい未来を創ってきたのだ。

 

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商工会議所の青山さんは僕たちに、震災当時のことを語ってくれた。

 

・・・あの日の朝、一緒に朝ご飯を食べたのです。妻と子どもたちと一緒に。津波が来たときは職場にいました。建物最上部にある給水塔に上りました。水が胸のところまで来て、その夜は塔にしがみついていました。そして思ったのです。「朝、子どもたちとの別れ際、どうして抱き上げてあげなかったのか。抱きしめてあげなかったのか」

波が来るたび、本当に寒くて、辛くてたまりませんでした。諦めてしまいたかった。でもまた子どもたちに会いたかったのです。死ぬのが怖いという感じではありませんでした。ただ、子どもたちにもっとしてあげたいことを思ったのです。

私たちは誰も、自分だけが秀でていなくていいのだと津波から学びました。共に立ち上がることができさえすればいいのです。私は高卒で、英語も話せません。でも助けることができるのです。情熱を持っているなら、どんなことも乗り越えられるのです。

人口1万3000人、私たちの美しい町は85%壊滅しました。言葉にできません。827人が亡くなり、257人が行方不明者の遺体が見つかりませんでした。私たちの学校の体育館は緊急避難所となり、私と家族は、他の2000人の人たちとそこで過ごしました。9ヶ月もの間そこにいた方々もいます。

震災後1週間以内で、私たちは何から始めるかを話し始めました。誰が公務員で誰が会社員で、かつて何をしていたのかなんて分かりません。何かするために、共に動かなければならないのだというだけでした。

商工会議所の不動産流通協会を形成するために、50人が集まりました。ほとんどが30~40代でした。長老の方々は、復興には20~30年かかるだろうと私たちに言いました。コミュニティが今必要としているリーダーシップとビジョンを示してくださるなら、私たちは協力します。地方自治体はもちろん助けてくれますが、すべてをこなせるわけではありません。市民が必要とされています。最も大切なのは人々が共に動くことであり、特に、若い人たちの活力が重要なのです。

かつては、地方事業、大企業、政府、一般の人々の間に分断や断絶がありました。しかし、共に動かなければならなくなりました。「子どもたちに残せる町を」と皆が考え始めたのです。フューチャー・センターで絵を描きながら、望む町のビジョンとして見えてきたのは、自然と共にあること。きれいな水があること。食糧が保障されていること。子どもたち・高齢者・障がい者に優しいこと・・・

 

厳しさは続いている。震災前に女川に住んでいた人たちの37%は町を離れた。5年近く経った現在でも、2003人が仮設住宅に住み、654人が様々な共同住宅で生活している。

 

女川町役場公衆衛生担当の佐藤さんは、どれほどケアが必要とされてきて、そして今も必要であるかを話してくれた。

 

命の危険にさらされた人たちだけでありません。すべての人たちに必要なのです。私たちは皆、震災のトラウマを抱えています。ある意味、特に男性にとって厳しいことでした。職務上の地位や立場を失って、避難所でお酒を飲むようになり、人生の目的もなくなってしまった人たちです。

政府ができることには限界があるのですから、私たちは、市民が自分たちで行動を起こせる状況を創り出すことに力を入れました。例えば良い例は、誰もが自分のストーリーを聴いてもらうことを何よりも必要としていると気づいたことです。私たちは『傾聴ボランティア』の活動を始めて、人々の話に耳を傾けるために出かけていきました。

公衆衛生のワーカーとして健康問題に注目することが多いのですが、本当に焦点を当てたいのは、生活の質(クォリティ・オブ・ライフ)です。周りの人たちとの関係性がクォリティ・オブ・ライフの基盤です。専門家やケア担当者は、ここにずっと居続けるわけではありません。必要なことは自分たちがしなければならないのです。物事が平常になってきたときに、この地域再生の精神をどう続けていけるかということです。

 

コミュニティが共に立ち上がり始めて、瓦礫から「美」が姿を現し始めた。例えば、駅の向かいの商店街。通常、小さな町の商店街は単調なものが多い。実務重視の店構えや、夜にシャッターが閉まっているだけの光景など。女川の人たちはもっと違うものを求めた。

 

そして彼らが創り出したものは、実に素晴らしい。向かいの駅へ呼びかけ、上の階には温泉も。「いらっしゃいませ。温泉へどうぞ。夕日を眺めながら、お店やレストランにいらしてください。」

 

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2012年の初め、女川町の若い町長に初めて会った。彼が選出されてまもなくの頃だった。僕は東京で、被災地域の自治体首長7人と共に、企画フォーラムに参加していた。6人は70歳近くで、何を必要としているかについて話した。女川町町長の須田さんは、何を持っているか、そして、ゼロから新しいコミュニティを始める千年に一度のチャンスをどう捉えるかについて話したのだ。女川町の人たちがしてきたことは、まさにそれである。

 

彼は今43歳で、宮城県議会議員を3年務めた後、2011年11月に女川町町長に選出された。友人だった前町長が彼に立候補を勧め、そのビジョンと洞察力が今必要とされていると伝えたのだ。確かに「すごい男だ」という印象を持つ。

 

すぐに察知したのは、町の職員の数は少なく、何をするのでもすべての人と共に動かなければならないということです。そして最初から、『女川町で何をするとしても、持続可能で、効率的で、有用でなければならない』と言ってきました。

私は町役場で、コンセンサス形成とコミュニケーションのために多くの時間を費やしました。政府は人々よりも上にいるのではありません。我々は皆、対等のパートナーです。市民一人ひとりが関わらなければなりません。町長になって4日後、女川の復興計画書を読みながら、何かが違うと感じました。前町長に話してみると、彼もどこか心配だと言うのです。そこで9人の人たちに集まってもらうと、それぞれが不安を感じていることが分かりました。

何かもっと必要なことがあり、それは全員から出てこなければならないと感じていました。人々が関わりやすくなるように、80の情報グループに自ら参加しました。そこから特定の課題へのワーキング・グループが形成されます。政府の仕事は、ワーキング・グループが決めた特定事項から大きな枠組を決めていくことです。そしてその計画は全員のものになっていったのです。人々は懸命に働き、私たちは月に一度、作成中の計画に関するすべての情報を公開するようにしました。そして2012年1月には、市民によってまったく新しい計画が完成。普遍と思われてきたことも変更を実現しました。例えば、町の地形測量といったことです。

町長になってまもなく、私には3つの役割があると気づきました。1つめは、私はただ、自分自身の希望と夢を持つ1人の市民であること。2つめは、私は政治家であって、その仕事は人々を集めて彼らの話を聴き、彼らが互いを聴くようサポートすること。3つめは、私は町長であり、その仕事は、市民がコミュニティで望むことを実現していく地方自治体を統治すること。・・・

 

彼はその3つの役割において、素晴らしい仕事をしてきている。

 

ラーニング・ジャーニーの3日間は、驚きに溢れていた。コミュニティが共に新しい未来を創るとき、どんなことが起こるのか、私たちは注目しなければならない。

 

Bob-(C) Timothy Conner●筆者 ボブ・スティルガー Bob Stilger
ニュー・ストーリーズ共同代表、社会変革ファシリテーター。1970年に早稲田大学に留学。アメリカで地域開発の仕事に従事した後、CIIS大学院にて博士号取得。2005~2009年ベルカナ研究所共同代表。地域や組織にイノベーションをもたらす対話の場づくりのプロとして、北米、南アフリカ、ジンバブエ、ブラジル、インドなどで活動。2011年の東日本大震災の発災後はたびたび来日し復興のための対話の場づくりに取り組んできた。著書『未来が見えなくなったとき、僕たちは何を語ればいいのだろう』(英治出版、2015年)。

 

9784862761866

フェアトレードは、本当に社会を良くしているのだろうか?

遠い生産現場の人たちにも「しあわせを届ける」チョコレート

 

2月14日は「バレンタインデー」ですね。
去年のこの時期に、こんなブログ記事を書きました。

甘くないチョコレートの歴史を知っていますか?
http://www.eijipress.co.jp/blog/2015/02/20/20534/

長い歴史の中で、チョコレートを味わうことができる人たちがいる裏側で、生産地では厳しい現実が存在してきました。

 

そんな中で、近年は生産者の生活に配慮した「フェアトレード」のチョコレートも出てきています。

NPO法人フェアトレード・ラベル・ジャパンの定義では、

フェアトレードとは、開発途上国の原料や製品を適正な価格で継続的に購入することにより、立場の弱い開発途上国の生産者や労働者の生活改善と自立を目指ざす「貿易のしくみ」

とされています。

たとえば今年、東京都の南青山と大阪府の中之島では、2/14まで「フェアトレード バレンタイン2016」を開催しています。

http://news.mynavi.jp/news/2016/01/19/161/

渡す相手に気持ちを伝えながら、遠い生産現場の人たちにも「しあわせを届ける」チョコレートです。

ぜひ選択肢の一つに!

 

 

フェアトレードは、「本当に」フェア?

 

さて、世界中に広がるフェアトレードですが、このような仕組みが「素晴らしい!」とされる一方で、こんな疑問を抱く方もいらっしゃるのではないでしょうか?

・「倫理的な商品です!」というラベルをマーケティングに使っているだけではないだろうか?
・「いいことをした」気になっているだけで、本当に大事な問題から目をそらしてはいないだろうか?
・フェアトレードは本当に社会に良い変化をもたらしているのだろうか?

フェアトレードのおかしな真実――僕は本当に良いビジネスを探す旅に出た』の著者であるコナー・ウッドマンさんは、まさにそのような疑問を抱きました。
そして、「倫理的ビジネス」の裏に隠された真実を探るために、世界中の貧しい国々を渡り歩きました。

・ニカラグアのロブスター漁現場
・中国の下請け工場
・コンゴ民主共和国の鉱山

例えばアメリカのある大手レストランチェーンでは、「人にやさしく社会に責任をもつ企業精神が評価されている会社です」と謳っています。
しかし、そこが仕入れているニカラグアのロブスター漁現場では、深度や酸素の残量がわかる機器もないままに危険なダイビングが繰り返され、潜水病などで命を落とす人が少なくない状況でした。
そして漁を行う彼ら自身は、ロブスターはもちろん、家族の食糧を買うお金すらまともに稼げていない状況だったそうです。

レストランのテーブルに置いてあるメニューには「何百万ドルも海洋保護に投資しています」と記されて、利用したお客さんは「いいことをした」という気分になれる…
しかしその裏側で、命にかかわるリスクを冒しているダイバーたちがいるのです。

「社会に良い商品です!」を鵜呑みにせずに、貧しい人々と一緒に暮らし、彼らの働き方を見て、彼らの話を聞く。
そうして著者が世界中で知った事実が、この本には詰まっています。

 

 

手っ取り早い解決策は存在しない、だけど…

 

本書は「フェアトレードは意味がない」と結論付けているわけではありません。
「宣伝文句だけのフェアトレードになってはいないか?」、一度立ち止まって改めて考えてみる本です。

著者はこう言います。

世界共通の手っ取り早い解決策など存在しない。(p.307)

そしてこうも。

一杯のコーヒーを買うために毎回タンザニアへ飛んだり、最新の携帯電話を手に入れるために中国へ飛んだりするわけにはいかない以上、末端の人々との仲介者、仲買人、橋渡し役として、大手企業に頼る以外にないのだ。

(中略)

企業が倫理的イニシアティブを立ち上げたり倫理的新製品を発売したりしたときに、それを支援するかしないかは消費者が決める。私たち消費者は力を合わせ、私たちの意思決定を通じて大手企業を操ることができる。そうやって大手企業の経営方法に影響を与える力を私たちはもっている。最終的には、私たち全員が責任を担うのだ。

「CSR」は、「Corporate Social Responsibility(企業の社会的責任)」であると同時に、「Consumer Social Responsibility(消費者の社会的責任)」でもあると言われています。

良いものを作る企業があって、良いものを見抜いて購入する消費者がいる。
そんな社会に近づくために、本書が「本当に良いものは何か」を考えるきっかけになれば幸いです。

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フェアトレードのおかしな真実――僕は本当に良いビジネスを探す旅に出た』著:コナー・ウッドマン

 

難民を受け入れた小さな町で起きた、美しい物語。――難民少年サッカーチーム「フージーズ」の挑戦

止まらない難民問題

ヨーロッパにおける、シリアをはじめとする中東やアフリカからの難民流入を巡って、連日「難民問題」が大きなニュースになっています。
30年以上に渡って最も難民数が多かったアフガニスタンを超え、現在はシリアが最多となりました(約400万人)。
家を追われたものの国外に出ることができていない「国内避難民」を合わせると1000万人を超え、シリア人の2人に1人が住み慣れた土地から避難せざるを得ない状況にあります。
※参考: http://www.huffingtonpost.jp/japan-association-for-refugees/syrian-refugees_b_8098966.html

この難民問題が私たち日本人にとっても他人事ではないということを、元国連UNHCR協会事務局長で、現在東京国際連合広報センター所長の根本かおるさんは『日本と出会った難民たち――生き抜くチカラ、支えるチカラ』に綴っています。

【6/20は世界難民の日】これだけは知っておいて欲しい3つの数字
http://www.eijipress.co.jp/blog/2015/06/11/21177/

 

難民少年サッカーチームの、美しい物語

シリアとアフガニスタンと言えば、現在行われているサッカーワールドカップの二次予選。
日本は難民数世界最多のこの二か国と同じグループに入っているのです。
先月行われた試合では、アフガニスタンにとってはホーム戦だったにも関わらず、治安上の理由から会場はイランのスタジアムになりました。
祖国で試合をすることができないという不利を抱えながらも、彼らは懸命に戦っています。

今日は「難民」×「サッカー」をテーマにした本をご紹介します。

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フージーズ――難民の少年サッカーチームと小さな町の物語』著:ウォーレン・セント・ジョン(英治出版、2010年刊)

 

舞台はアメリカジョージア州にある小さな町「クラークストン」。
ヨルダンから自由を求めてアメリカにやってきた若き女性ルーマ・マフラはこの町で、肌の色が異なる少年たちが団地の駐車場でサッカーに没頭している光景を目にします。
イラク、アフガニスタン、コンゴ、スーダン・・・彼らは世界各国から様々な理由でこの地に逃れてきた難民たちでした。
投獄された父親を残したまま祖国を離れざるを得なかったり、戦乱を逃れて山中で食うや食わずの生活を5カ月間耐えた少年もいました。
なんとか彼らの力になりたいと考えたルーマは、国籍も言葉も文化も異なる難民の少年たちを集めたサッカーチーム「フージーズ(難民=refugee(レフジーズ)から命名)」を結成します。

この本は、想像を絶する哀しい記憶を持ち、様々な困難を抱える少年たちが巻き起こした奇跡の物語です。
フージーズに密着し、この本を執筆した著者ウォーレン・セント・ジョンは言います。

戦禍をこうむった十余りの国々からやってきた少年たちが一丸となって、サッカーのピッチで信じがたい美を創造するのを、たったいまこの目で見たのだ。(p.16)

 

難民を受け入れた町からの教訓

クラークストンは、1980年代後半から難民支援に関わる非営利団体が目をつけ、アジア・アフリカ・ラテンアメリカなど、世界中の様々な地域から難民たちが集まってきた町です。
古くからこの地に住む白人たちは、異文化が混ざり合いどんどん景色や暮らしが変化していくことに違和感を覚え、ある者はこの町を出ていき、ある者は残りつつも難民たちを疎ましく思って暮らしています。
その不満は、時に警察による難民たちへの嫌がらせなどの形をとって噴出しました。

しかしこの本でぜひ皆さんに知ってほしいのは、そのような現実に加えて、この町がどのように難民たちが作り出す異文化を受け入れてきたかです。

たとえばクラークストンにあるスーパーマーケット「スリフタウン」。

このお店は元々、「真にアメリカらしい商品」を取り揃え、この地に住む白人と黒人を顧客基盤として経営していました。
しかし世界各国からの難民が急増すると、常連客たちはこの町から去っていき、異国から来た人々は伝統的なアメリカの食べ物には興味を示さず、売り上げは低迷していきます。

そこでスリフタウンの経営者であるメーリンガーは、雇っていたベトナム人難民のホンのアドバイスを元に、アジア圏の食材を置いてみることに。
すると瞬く間に棚は空っぽになったのです。
その後スリフタウンは、新たな民族がやってくるごとにその中から従業員を雇い(43人の従業員のうち、35人が世界20カ国からの難民たち)、「食材コンサルタント」として重宝しました。
そうして多様な難民たちのニーズを満たすことで、店は繁盛していったのです。

本書の第19章「克服」では他にも、難民たちの出身各国の流儀に合わせた礼拝を取り入れることで会員数を増やした教会などの事例が登場します。

 

難民を排除するのではなく受容することによってうまくいったこれらの話は、難民の受け入れを巡る議論が続くこの時代にとって大きな意味を持っていると思います。
ぜひいま、皆さんに手に取っていただきたい一冊です。

最後に、『フージーズ』を翻訳した北田絵里子さんの想いを書かせていただきます。

本書には、町の異変に動揺する住民たちの様子が、社会学に照らした解説も交えて詳細に記されている。難民との見えない壁を乗り越え、建設的共存をなしとげたいくつかの実例は特に興味深い。

2009年の暮れ、UNHCR駐日事務所による実態調査の結果がニュースで伝えられた。わが国が1978年から受け入れてきたインドシナ難民たちが、日本語教育が不十分であったために、現在厳しい生活を強いられているという。難民定住者の数がまだ少ない日本でもこうした問題が生じつつあるいま、多くの人に知っていただきたい〝難民の真実〟――再定住に際してどんな手続きを踏むのか、移住後はどんな問題に直面するのか、目的を持って新天地にやってきた移民とはどんな差異があるのか――が、本書には詰まっている。

美談を綴るにとどめず、難民の現状を真摯に伝えようとした著者の思いが、日本の読者のみなさまの胸にもどうか届きますように。

 

~書籍紹介~

『フージーズ――難民の少年サッカーチームと小さな町の物語』著:ウォーレン・セント・ジョン
■『日本と出会った難民たち――生き抜くチカラ、支えるチカラ』著:根本かおる

マンガ⇒ドラマになった病児保育ストーリー!「37.5℃の涙」を失くすための挑戦

37.5℃の壁

「子どもが熱を出して保育園に行けず、
会社を休んで看病したら、クビになった」
フローレンスの病児保育HPより)

皆さんは、「37.5℃の壁」をご存知でしょうか? 子どもの熱が「37.5℃」を超えると、ほとんどの保育園は子どもを預かれなくなってしまうと言われています。2012年段階で、全国に保育所の数は約3万施設ある一方で、病児保育施設は850しかありません。その施設も、定員が4名ほどで激戦になってしまう、ということもしばしば…。育児をしながら働く女性に対して「必要性を感じている育児支援制度は?」と聞いた調査では、「子どもの看護休暇」と回答した人が86%でトップ。

NPO法人フローレンスを立ち上げた駒崎弘樹さんは、この「病児保育問題」を解決するために奮闘しています。

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「訪問型病児保育」という解決策

 

駒崎さんはある日母親から、熱を出した子どもの看病で会社を休み、クビになってしまった女性の話を聞き、強い疑問を感じました。

「子どもが熱を出すことなんて当たり前の話だろうし、それを親が看病するっていうのも、当たり前の話だ。当たり前のことをして職を失う社会に住んでいたなんて。(著書『「社会を変える」を仕事にする』p.65)」

そんな想いから、NPO法人フローレンスは2004年に設立されました。

「病児を“預かってくれる場所”が少ないのであれば…」

駒崎さんが考えたのが、「脱施設」型の「訪問型病児保育」でした。子どもが熱を出してしまったお宅に、フローレンスの保育スタッフが駆けつけ、自宅で面倒を見るという発想です。

現在この取り組みは、東京を中心に1都3県に拡大。設立以来10年間無事故で、これまでの病児保育件数は25,000件以上です。2013年には「日経ソーシャルイニシアチブ大賞」を受賞、2012年から4年連続で「働きがいのある会社ランキング」でベストカンパニーにランクインするなど、大きな反響を呼んでいます。

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駒崎弘樹さん(フローレンスHPより)

 

 

マンガ化、そしてドラマ化

 

漫画家の椎名チカさんは、お子さんを持つようになって「病児保育」の問題を知ります。この問題の取材をして興味を抱いて描いたマンガ『37.5℃の涙』は、「Cheese!」(小学館)の2013年12月号より連載されました。椎名さんご自身もフローレンスの病児保育利用会員だそうで、なんと作品はフローレンスをモデルにしているとのこと!駒崎さんをモデルにしたキャラクターも出てきます!

マンガ
37.5℃の涙』(小学館、著:椎名チカ)

駒崎さんもびっくり!↓

■駒崎さんブログ「フローレンスの病児保育がいつのまにか漫画化されてた件

そしてさらにびっくり!このマンガが原作となった連続ドラマ『37.5℃の涙』が、2015年7月9日(木)21:00よりTBSで放送されることになりました!

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ドラマ『37.5℃の涙

ドラマ化というニュースに合わせて、原作者の椎名チカさんと駒崎さんが対談された記事もあがっています。

http://www.375.peraichi.com/

この機会に多くの方々にこの社会課題を知っていただき、解決への機運が上がることを願っています。

 

7/9(木)21:00〜TBSにて
ぜひご覧下さい!

 

 

病児保育を更に知るためのご案内

 

《書籍》
■『「社会を変える」を仕事にする――社会起業家という生き方』英治出版、著:駒崎弘樹
■『認定病児保育スペシャリスト試験公式テキスト』英治出版、著:一般財団法人日本病児保育協会
■『37.5℃の涙』小学館、著:椎名チカ

《URL》
■認定病児保育スペシャリスト試験
http://sickchild-care.jp/
■認定NPO法人フローレンス
http://www.florence.or.jp/