|
千里の旅も一歩から始まる。私も一歩を踏み出し、そしてみごとにつまずいた。
若いころ、世界を変えるようなことがしたいと夢見ていた。しかし20代で“アフリカを救いに”出かけた私が思い知ったのは、アフリカ人は救いなど求めていないし、必要としてもいないということだった。慈善事業や先進国からの援助がもたらした、ひどい結果をいくつも目にした。援助プログラムが失敗すれば、状況は変わらないどころか悪化さえした。そのうえ、親しくなった人たちのあいだでルワンダ大虐殺が起こった。衝撃が夢をしぼませた。もうたくさんだと私は思った。ほんの少しでもだれかの役に立てたなら、それで十分ではないか。
だが、そうではなかった。貧富の格差は世界中で広がりつつある。いまの世界の状況は、経済的にだけでなく社会的にも、持続可能ではないのだ。それに“貧困”は、人々が怠けているから生じているのではない。むしろ私はアフリカで、人々のとてつもない粘り強さを学んだ。貧困という現実があるのは、ただ障害が多すぎるからだ。一人でも重病の子がいたり、夫が死んだりすれば、一家の貯金は吹き飛び、借金地獄に陥り、永久に貧困から抜け出せなくなる。
このままでいいはずがない。20代のころの理想主義が、40代になってもどってきた。ただの願望ではない。地に足をつけ、実際主義(プラグマティズム)をもって前を見るのだ。
新しい発想で貧困問題に取り組むため、私は2001年に非営利団体〈アキュメン・ファンド〉を設立した。
アキュメン・ファンドは、集めた寄付金を無償援助に使うのではなく、世界で最もむずかしい課題に取り組もうとしている起業家に、慎重に投資する。これまで政府や慈善事業が失敗してきた地域で、手のとどく費用で受けられる医療、安全な水、住まい、エネルギーといった不可欠のサービスを提供する起業家たちだ。私たちは投資の成果を経済的観点だけでなく社会的観点からも測り、学んだことを広く世界各地の人々と共有する。
低所得者層が“犠牲者”としてではなく“顧客”とみなされるとき、また市場が低所得者層のニーズを起業家に伝える装置となるとき、何が起こるかを私たちは見てきた。起業家が立ち上げた事業はやがて、自律的に機能し広がっていく、ひとつの経済システムを生み出すのだ。
私たちの投資は、非常に大きな成果をあげることができる。アキュメン・ファンドが支援した起業家の一人は、インドの農村地域に住む25万人以上の貧困層に安全な水を提供する会社を興した。低所得層は金など払わないだろうという社会通念は打破された。また、私たちが支援した農業用品デザイナーが販売するドリップ灌漑(かんがい)設備は、世界の275,000人以上の小農の収穫と収入を倍増させている。アフリカでは抗マラリア蚊帳の製造企業に投資した。その企業は現在、特別なスキルを持たない女性を中心に7,000人以上を雇用し、耐用年数が長く救命効果の高い蚊帳を年間1600万枚生産している。
今日、私は若いころにもまして、貧困に終止符を打つことは可能だと信じている。人間がいま持っているようなスキル、資源、技術、そして想像力を持ったことは、歴史上かつてないからだ。また、根本的な変化がたった一世代で起こりうることを見てきたからでもある。
私の祖母ステラは1906年に生まれた。祖母の両親は、ハンガリーと国境を接するオーストリアのワイン生産地帯、ブルゲンラントで農場暮らしをしていた。そして多くのオーストリア人、チェコ人、ハンガリー人と同じように、新天地を求めてアメリカに渡り、ペンシルベニア州のノーサンプトンという小さな町にやってきた。両親には子供を養う余裕がなく、祖母はまだ3歳のとき、妹のエマとともにオーストリアに送り返された。両親は、できるだけ早く新しい国に娘たちを迎えると約束した。
少女たちは10年以上もあちこちの家庭を転々とした。下働きをし、ときには虐待され、一足しかない靴は日曜日しかはくのを許されなかった。教育といえるようなものは受けたことがない。ただ一生懸命働き、神を信じ、前を見つづけた。
祖母の世代の女性が求められたのは、結婚するとすぐに子供を産み、家計を助けるために外で単純労働をし、家事いっさいを引き受けることだった。祖母は繊維工場で劣悪な条件の重労働をして、男たちが食べ終わってからやっと食卓につき、ただの一度も愚痴を言わなかった。9人の子供のうち3人を5歳になる前に亡くし、毎日教会に通い、いつも伏し目がちに、内気に、美しくほほえんだ。その同じほほえみを私は、アフリカの多くの女性に見ることになった。
祖父母はアメリカで6人の子を育て、25人の孫が世に生を受けた。私たち孫世代があるのは、祖父母のような人たちのおかげだ。決して施しを求めず、互いに支え合い、苦しみを分かち合い、一生懸命働くことと強い意志を持つことによって、子供たちによりよい未来を手渡した。この国は祖父母のような人々に、ほかのことはともかく、希望と機会だけは与えてくれたのだ。
今日、世界中の貧困層は、人間としての尊厳を手にするための機会と選択肢を求めている。少しは支援が必要だとしても、自分の手で尊厳を得たいと思っている。そして今日では、世界中の人たちに真の機会を提供するツールも、技術もある。
人の命の価値はみな等しい。私たちがほんとうに大切にしているこの基本原則を、地球上のすべての人に実現するときがきたのだ。私たちの共通の未来は、世界を、異なる文明や階級に分断されたものとしてではなく、みなが結びついた一つのものとして見る世界観にかかっている。この人間同士の絆を持つことこそ、私たちの時代における、最も重要で複雑な課題だろう。
この視点で見れば、市場経済には役割があり、政策にも役割がある。フィランソロピー(慈善活動)にもある。求められる変化を起こすには、すべてに役割がある。
だが、どこから手をつけたらいいのだろうか。
スキルを持ついまの若者の多くと同じように、四半世紀前の私も、世界を変えることに貢献したいと願いながらも、適切なゲームプランを欠いていた。どうすればいいのか、見当もつかなかった。私は中流家庭に育ち、大学の学費も自分で出した。非営利事業をおこなうのは、最初はとてつもない挑戦のように思えたし、当時は、自分がしたいと思っていたような仕事をした人を、まったく知らなかった。私のロールモデルは大半が、本の登場人物か、すでに世を去った人だった。
それで私は、自分がいま、若者たちにすすめていることをした。
できることから、自分に機会が与えられたところから、始めたのだ。
本書は、私の旅についての物語だ。充実した旅路ではあったが、いつも賢明な道を歩んできたとは言いがたい。若いころを振り返ると、世界中はつながり合っているという世界観に沿った人生を追求しようと銀行業界を飛び出した、向こう見ずな人間だった。根性や教育やスキルはあっても、それだけでは成功はできないのだという教訓を、繰り返し学んでいかなくてはならない人間でもあった。
本書は、一つの思考様式(イデオロギー)でものごとを決めつけたり、手軽な解決策を求めたりしない人たちのための本である。人がどのくらいお金を稼ぐかよりも、人々がその不可欠の権利である自由と尊厳のある生活、そして基本的なサービスを得られるかどうかに関心を持つ人たちのための本である。今日の課題は複雑で、しばしば解決策も複雑だと知ったうえで、シンプルな真実を求める読者のための本でもある。
私がたどってきた道は、自分のあらゆる思い込みを覆し、最も基本的な考え方さえ揺るがせるようなものだった。初めてのアフリカ行きでは呪術や毒薬などに脅かされたし、外部の人間が経済開発に果たす役割について疑問を持つようになった。何年も一緒に仕事をしてきた女性たちのなかに、ルワンダ大虐殺の犠牲者になった人と虐殺者の側に立った人がいたのを知って、人間の本質を問いなおした。“資本主義の勝利”への幅広い信仰につながったベルリンの壁の崩壊を目にする一方で、野放しの資本主義経済が極貧層にもたらした残酷な結果も目にして、すべての人がグローバル経済の生み出す機会を得られるような、別のあり方を求めるようになった。世界の最富裕層に属する人たちに会って仕事をしたことで、貧困問題への取り組みにおけるフィランソロピーと民間部門の役割について考えるようになった。
私の物語は、実は、ほかの人の物語だ。世界のさまざまなところで出会い、私の人生を形作ってきてくれた、すばらしい人たち。カンボジア人の僧侶。年配のアメリカ人政治家。アフリカで土の家で一生を送った男性。ロックフェラー財団総裁。小屋のなかで踊るケニアの女性たち。パキスタンで家を失った幼い少女。たった4リットルのミルクを手に生活を取りもどそうと闘った、ルワンダ大虐殺の生存者。その一人ひとりが、すばらしいことを教えてくれた。とてつもない障害を乗り越えていける人間の力について。私たちみなが基本的な点においてどれほど似ているかについて。そして、最も大切なことは私たち一人ひとりの尊厳とその分かち合いだということについて。この忘れられない人たちは、多くは想像を絶するような苦しみに耐えながら、生の感覚もユーモアも、決して失わなかった。
私を支えてくれる自信、自分に何かができるという手ごたえを与えてくれたのは彼らだ。地球上のだれもが、自分自身の人生を形作るのに必要な資源を手に入れられる世界。それを創り出すことができるいま、創り出さなければならない。彼らはそう信じさせてくれた。貧しい人々にとってだけでなく、私たちみなにとって、尊厳はそこから始まるからだ。
|