書籍情報
![]() |
|
|||||||||||||||||||
|
ドラッグと犯罪がはびこるスラム街の片隅で、ぼろぼろの小屋をきれいに修理し、ジャズのレコードとおいしいコーヒーを用意して、私は小さな陶芸教室をスタートした。落ちこぼれの貧しい少年たちと、私自身の人生が、そこから大きく変わりはじめた――。
成功は、追い求めるものではなく、自ら「つくりあげる」もの。
スラム街の貧しい家庭に生まれ育った著者の経験から、貧困層や恵まれない少年少女を救うため、アート(陶芸、写真、絵画など)を通じた教育活動・職業訓練学校を大学在学中に開始。以来30余年、非行少年・麻薬中毒者・前科者など、数多くの人々を立ち直らせてきた。
「一流の芸術に触れさせる」ことで自尊心を取り戻させ、更生させるその教育プログラムは「奇跡」と称されるまでの成果を上げている。シリコンバレーの若手経営者らが、この活動に注目して資金を拠出、活動は全米に広がりつつある。
第1章 スラム街からハーバードへ
第2章 貧困とともに育って
第3章 社会起業家になる
第4章 逆境のなかで見つけたもの
第5章 美しいものが人間を変える
第6章 スラム街に温室をつくったわけ
第7章 人は、自分で思うよりも高く翔べる
第8章 生命の律動、それがスウィング
第9章 ソーシャルイノベーションを広げる
第10章 私たちの仕事の目的、私たちの人生の目的
訳者あとがき
第2章 貧困とともに育って
第3章 社会起業家になる
第4章 逆境のなかで見つけたもの
第5章 美しいものが人間を変える
第6章 スラム街に温室をつくったわけ
第7章 人は、自分で思うよりも高く翔べる
第8章 生命の律動、それがスウィング
第9章 ソーシャルイノベーションを広げる
第10章 私たちの仕事の目的、私たちの人生の目的
訳者あとがき
著者:ビル・ストリックランド(Bill Strickland)
マンチェスター・ビッドウェル・コーポレーションCEO。「マンチェスター・クラフツメンズギルド」では、毎年数百人の中高生に陶芸、写真、絵画の教室を提供し、生徒の90%が高校の卒業証書を手にし、大学に進学している。「ビッドウェル・トレーニングセンター」では、地元の企業と提携して、料理、薬剤技術、園芸などの教室を提供し、大人向けの職業訓練を行っている。ストリックランドは仕事の功績が認められてマッカーサー財団から「天才賞」を贈られたほか、ハーバード大学教育大学院で講座を持ち、全米芸術基金の委員も務めている。マンチェスター・ビッドウェル・コーポレーションはハーバード・ビジネススクールのケーススタディにも3回取り上げられた。ペンシルバニア州ピッツバーグ在住。
訳者:駒崎 弘樹(こまざき・ひろき)
特定非営利活動法人フローレンス代表理事。1979年東京都江東区生まれ。99年慶応義塾大学総合政策学部入学。在学中にITベンチャー(株)ニューロン代表取締役社長として、さまざまな技術を事業化。同大卒業後、保育業界最大の難問「病児保育問題」を知る。「地域の力によって病児保育問題を解決し、育児と仕事を両立するのが当然の社会をつくれないか」と考え、ニューロンを退社しフローレンスの活動を開始。04年内閣府のNPO(特定非営利活動法人)認証を取得、代表理事に。05年4月から江東区・中央区にて全国初の「保険的病児保育サポートシステム」である『フローレンスパック』をスタート。2010年までに東京23区、2015年までに全国の働く家庭をサポートすることを志す。07年ニューズウィーク誌「世界を変える社会起業家100人」に選出。08年ハーバードビジネススクール・クラブオブジャパンから「アントレプレナー・オブザイヤー」を受賞。08年社会保障国民会議委員に選出。著書『「社会を変える」を仕事にする――社会起業家という生き方』(英治出版、2007年)。
マンチェスター・ビッドウェル・コーポレーションCEO。「マンチェスター・クラフツメンズギルド」では、毎年数百人の中高生に陶芸、写真、絵画の教室を提供し、生徒の90%が高校の卒業証書を手にし、大学に進学している。「ビッドウェル・トレーニングセンター」では、地元の企業と提携して、料理、薬剤技術、園芸などの教室を提供し、大人向けの職業訓練を行っている。ストリックランドは仕事の功績が認められてマッカーサー財団から「天才賞」を贈られたほか、ハーバード大学教育大学院で講座を持ち、全米芸術基金の委員も務めている。マンチェスター・ビッドウェル・コーポレーションはハーバード・ビジネススクールのケーススタディにも3回取り上げられた。ペンシルバニア州ピッツバーグ在住。
訳者:駒崎 弘樹(こまざき・ひろき)
特定非営利活動法人フローレンス代表理事。1979年東京都江東区生まれ。99年慶応義塾大学総合政策学部入学。在学中にITベンチャー(株)ニューロン代表取締役社長として、さまざまな技術を事業化。同大卒業後、保育業界最大の難問「病児保育問題」を知る。「地域の力によって病児保育問題を解決し、育児と仕事を両立するのが当然の社会をつくれないか」と考え、ニューロンを退社しフローレンスの活動を開始。04年内閣府のNPO(特定非営利活動法人)認証を取得、代表理事に。05年4月から江東区・中央区にて全国初の「保険的病児保育サポートシステム」である『フローレンスパック』をスタート。2010年までに東京23区、2015年までに全国の働く家庭をサポートすることを志す。07年ニューズウィーク誌「世界を変える社会起業家100人」に選出。08年ハーバードビジネススクール・クラブオブジャパンから「アントレプレナー・オブザイヤー」を受賞。08年社会保障国民会議委員に選出。著書『「社会を変える」を仕事にする――社会起業家という生き方』(英治出版、2007年)。